第三話:唄う死天使

 

 四月一八日。午後二時二一分。

 

宅急便のトラックに偽装させた、ガートス私兵部隊兵員輸送の指揮室。

薄暗い空間の中、数十台のモニターだけが灯っている。

その正面で椅子に腰掛けているマジョ子は、注意深く見続けていた。

迷彩柄の軍服を身に纏い、長い金髪はベレー帽に押し込み、その碧眼には一切の油断がない。

ついさっきほど、兵全員に付けている小型カメラ越しで、聖堂枢機卿長と眼が合った時はさすがのマジョ子も肝を冷やした。だが、そこは気配りの行き届く霊児である。

すぐさま信号により、退避の命令を判断する手腕でこちらの尾行は、ばれずにすんだ。

 今は、別のカメラ――――霊児の運転する車を、後続している。

 霊児が持っている小型マイクで車内の会話を拾うスピーカーから、カインと霊児の罵り合いを聞きつつも、モニターから目を離し、マジョ子は振り返った。

長い机に座るベレー帽を被った四人の部隊長は、黙したままだ。

 書類を前にし、戦闘を前にしているにも係わらず、全員は落ち着き払っていた。

マジョ子は机に座る部隊長達を見渡し指を組み、右側に座る眼帯の青年が頷いて立ち上がる

 

「では、今回のミッションの説明です。手元にある書類を開いてください」

 

 三人の部隊長が各々の書類を捲る。そしてマジョ子も書類を開き、飛び込んできた文字に首を傾げた。

 

「何だコリャ?」

 

 重要書類かと思っていたが、可愛らしいロゴマークが描かれたトップページだった。

 

「昨夜、被免(アデプタス・)達人(エクスエンプタス)の一人である密教系魔術師、如月アヤメのホームページを見つけ、それをプリントアウトしました」

 

「はぁ?」

 

「サイト名はアヤッチ超常現象研究所

 

「えっ? ちょっと」

 

 狼狽するマジョ子とは違い、その書類に眉一つ動かさない軍人達。

 

「このサイトは連盟検索エンジンから見つけたものです」

 

「連盟検索エンジン?」

 

「知らないんですか? 連盟が作った検索エンジンです。ガートス家のホームページも登録されています」

 

「何時作ったんだ、ウチのホームページを?」

 

「ガートス家は表向きに大企業ですよ? ホームページなんてとっくの昔にあります」

 

「ふぅ〜ん! 知らなかったヨォ!」

 

 激怒しながら頷くマジョ子に、抜き出しのナイフを眺める、長い黒髪で顔を隠した女兵士の目が、マジョ子に注がれる。ナイフから眼をそらすと何故だか、とたんに震え始めた。

 

「どう・・・・・・・・・したんです・・・・・・・・・そ・・・・・・・・・んなに・・・・・・・・・・・慌てて・・・・・・?」

 

「オマエがどうしたぁ、サラ! 四六時中ナイフを抜くなって言ったろうがぁ!」

 

 サラと呼ばれた女兵士は、マジョ子の剣幕に怯えてさらに震え始める。

 

「でも・・・・・・ナイフ持っていないと・・・・・・・・・緊張して・・・・・・・・・あたし・・・・・・シャイだから・・・・・・でも・・・・・・・・・資料は・・・・・・・・・ちゃんと、見ているから・・・・・・・・・」

 

「シャイとかの問題じゃねぇ!」

 

「続けます」

 

 何事も無く放置か!

 

マジョ子の胸中も知らず、眼帯の兵士は書類の続きを読み上げる。

 

「ここのサイトはこの鬼門街で起こる、超常スポットを紹介しています。また、BBSで友達と肝試しなどをし、その原因で神隠しに巻き込まれた場所へと、管理人の如月アヤメが足を運び、誰に知られること無く解決している模様です」

 

「成る程・・・・・・一見、ふざけているかと思っていたが、その手の解決を目的にしている理由か・・・・・・」

 

「そして、昨日の日記に書かれた文によりますと――――」

 

 まぁ、ホームページだから日記くらいあるだろう、とマジョ子が思ったその時である。

 

「四月一七日。今日、小学校からの付き合いがある、友達の相談にのったの〜(^∩^)(顔文字、しゅうごう)。何か、病院内の患者さんが行方不明になる現象みたい。だから、明日は気合を入れていきます(´∧`)(顔文字、だっぁしゃー)! でも、明日は久しぶりに帰国するお友達もいるんだよねぇ〜 まっ、良いか! だって、お酒を勧められて潰されたくないもん( ̄v ̄)(顔文字、シレ〜)――――と、書かれている通り、彼女は現在都内の大学病院にいます。私のD部隊が張り込んでいます」

 

・・・・・・・・・・・・待てよ、何で顔文字まで言葉に出す? マジョ子の表情も見ずに眼帯の兵士は続ける。

 

「ですが現在、如月アヤメとその友人と思われる女医の久遠ユウコと共に、意識不明患者の磯部綾子という病室で反応が消失。同じく、患者に変装させたD部隊の六名、連絡が途絶えてしまっています」

 

「レノの部下の安否も気になりますが・・・・・・・・被免(アデプタス・)達人(エクスエンプタス)の如月アヤメも消えるほどの超常現象か・・・・・・・・・」

 

 逞しい巨躯を誇り、この部隊長の中で一番年長者の兵士は顎鬚を擦りながら唸る。

 

「そこで唸るか! アラン?」

 

 マジョ子の突っ込みを黙殺し、眼帯のレノは脇で頭を掻き毟るマジョ子を見ずに、首を振る。

 

「情報が少な過ぎます。下手な憶測は控えましょう。それにアヤメの尾行をする六人の兵士は、全員にA級装備を標準としています。何があっても生き残れる精鋭です」

 

 己が部下を信頼するレノの言葉に、アランも頷き返す。だが、マジョ子の頭にあるのは、二児の母親が顔文字で、日記を書くな! とか、何でこいつ等はこんなに落ち着ける! と叫び狂っていた。

 

「次の資料に映ります。〈聖堂〉の最大汚点である〈育成機関〉の残ったデーターをハッキングして入手した、如月駿一郎の記録です」

 

 指揮官の苦悩すら黙殺して放置する軍人等は、次のページを捲る。マジョ子も何とか、渦巻く葛藤を飲み込んで資料を捲ると、そこに書かれている文章を黙読するだけで歯軋りを響かせた。

 それは当時の科学技術では、不可能なクローン技術と魔術で付加させた〈半ホムンクルス〉を使用した凄惨な訓練内容だった。いや、実験と言うに相応しかった。

 

「資料の通り、〈育成機関〉は試験管とホムンクルス培養液で生み出された、半ホムンクルスを用いて、〈聖堂〉の兵士育成を目指していました。内容は、天使同調率の調整を施された半ホムンクルスに対し、様々な天使を魂に融合させ、数々の限界に挑戦させていました。

耐熱、耐寒、耐G、耐拷問やスピード、真空、気圧、水圧まで。その中でも〇〇二一という当時、如月駿一郎の実験番号は四大熾天使、戦いの天使カマエル、神の秘密ラジエル、神の毒サマエルを融合させても、テストの最低ランクギリギリの成績。テストケース達の四分の一程度の能力で死体安置所(モルグ)へ直行かと思われました。しかし、その中で堕胎の黒天使サンダルフォンとの融合は、ほぼ九九パーセントの同調率を誇ります。

耐熱温度から水圧の全てを塗り変える記録を残しています」

 

 マジョ子はその記録数値に、息を呑む。

他の天使に対しては最低ランクでありながら、サンダルフォンとの融合化した〇〇二一の数値は、他のテストケースと比べると全てを一桁違いという、恐ろしい数値を叩き出していた。

 

「そして、このプロジェクトのトップが残した直筆の記録は、次のページです」

 

 レノに言われるまま、マジョ子達は資料を捲る。レノを含めた四人の部隊長は、眉一つ動かさない。しかし、マジョ子は頭を振ってもう一度、そこに書かれている文字を穴が開くほど凝視した。しかし、無情というタイミングでレノは読み上げる。

丸文字の英語文章を。

 

〇〇一から一〇〇〇番までちょろっと、耐Gと反射神経限界値を試してみたが、四〇〇人が死亡。残り五九八名が重傷しちまった。

やはり、耐Gとスピードテストのセットはきつかったみてぇ〜。〇〇二〇と〇〇二一はほぼ軽傷のみ。

すっげぇ、マジすげぇ。 堕胎の黒天使サンダルフォンと完璧に同調する〇〇二一は、ほんと、超COOL! 続いて、ゲル液水圧を試みたが〇〇二一のみ、ゲル液水圧八〇〇〇の記録を更新しちまったぜぇ!

結果は、内、九人が軽傷。しかし、〇〇二一のみ無傷。これは早速、女教皇に報告! 〇〇二一は、完全に天使を操っている!

他のテストケースも〇〇二一と同じく、凡庸性は乏しいが一定の天使にのみ、同調率九〇パーセント代を更新している。半ホムンクルスとは言え、相性の良い魂があるということなのか? 解らネェ〜がしかし、このデーターをもとに今後は、凡庸性に優れた兵士製作を実行することにするぜ!

 

クラクラしてくる頭を何とか、精神力と首の筋肉で支えるマジョ子。

 

「それから彼はこのプロジェクトが認められ、〈暴力世界〉の〈墓場の街〉に転勤し、当時の女教皇との謁見を最後に行方不明となりました。

しかし、別のスタッフを迎えた〈育成機関〉は様変わりし、番号ではなくなりました。生き残った〇〇二〇、〇〇二一、〇一五三、〇二一四、〇三〇五、〇四九七、〇六六七、〇七一二、〇九〇二、〇九九一にも名前が付けられ、〇〇二一には日本人スタッフが多く、親しみを込めて如月(・・・・)駿(・・・)郎と呼ばれました」

 

「いや、待てよ? これはホラーとして受け取るべきなのか? それともギャクとしてみるべきなのか? 一千人の内、たった一〇人の生存率だぞ? 怖すぎだよ? こんなに軽く死亡とか書かれているのに、驚かないのか?」

 

 そんなマジョ子の意見すら黙視し、部隊長達は資料を読みふけり、頷くものすらいた。

 

「そして、最後に真神京香の調査記録です」

 

 レノの言葉通り部隊長達はページを捲るが、マジョ子だけが珍獣を見るように部隊長対を見渡す。

 

「衛星写真で盗撮した二枚の写真に注目してください」

 

 渋々ながらマジョ子もページを捲るが、その写真を見ただけでマジョ子の切ってはいけない血管が、次々と千切れていく。

 最初の一枚は、椅子に座る上下をベージュのスーツで固め、紅い髪の女が宝石で装飾された煌びやかな椅子に、理想的な曲線美の足を組んで座っていた。

その左横には幻想的な金髪を後ろで束ね、ルビーのような赤い瞳を持つ男性である。

顎のラインと首の太さが、男性というモノを形にした武骨さに、ギリシャ彫刻のようなほり。だが、中世ヨーロッパのクラシックな服装という趣味が、センスの良さを表していた。しかも、その典雅を損なわぬよう軽装の鎧に、身の丈以上はある西洋剣の剣先を地に刺し、宝珠の柄頭に手を添えている。

優雅と気品すらある二人は、豊かな緑ある豪邸の庭を舞台にし、衛星カメラ目線で見上げていた。

 もう一枚などはもっと、酷い。

 紅い髪の女は同じ服装で、豪邸の庭。だが、肩に腕を回して無理矢理、連れて来たと解る青年と並んでいた。

 青年の頬は殺ぎ落とされたように、痩せこけている。

 色の悪い肌と、くすんだ茶髪に、銀色の瞳は肩に腕を回す女性から目をそらしている。

ロング・レザーの袖を引き千切ったようなノースリープに、派手な柄のあるTシャツ。そして、黒のレザーパンツという服装だった。

 赤い髪の女は、こちらに向かって両手でピースをしている。

 

「盗撮になってねぇ! 衛星カメラ使った記念撮影じゃねぇか! しかも、何か修学旅行っぽい!」

 

 マジョ子は怒声と共に、資料を引き千切った。だが、これが一般的な言動であろう。しかし、頬に十字傷が刻まれた女兵士は不敵に鼻を鳴らす。

 

「衛星カメラすら気付くなんてねぇ〜でも、相手に不足は無いわ〜」

 

「ジュディー? オマエは、感心できるのか? カメラ目線だぞ? 凝ったポーズを取ってるんだぞ? ピースなんてしてるんだぞ!」

 

 マジョ子はもう、どうしてこんな反応しかないのかと、頭を抱えてしまう。だが、冷静に落ち着き払う部下達を、見渡して虚ろな微笑を吊り上げて言った。

 

「もう、お前らはすごいよ。うん、だってこんな悪ふざけにしか見えないモン見ても、感心したり、分析できるなんて・・・・・・・・・良くぞ、そこまで徹底できるよ。お前らは、軍人の鏡だ。否、戦士だ!」

 

 資料に目を通そうとしたレノ等全員が、溜息混じりにマジョ子へと視線を向ける。

 

「私達は今、会議中ですよ指揮官?」

 

「・・・・・・・・・深・・・・・・呼・・・吸・・・・・・・・・・・・」

 

「落ち着いてください、指揮官殿。士気が下がります」

 

「もしかして〜? ビビってるの?」

 

 など、マジョ子を心配そうに見詰める四人の部隊長等に、ようやっとマジョ子も落ち着きを取り戻して、頭を掻いた。

 

「ごめん・・・・・・・・・なんだが、巳堂さんと付き合い始めてから、突っ込み癖が付いているみたいだ。すまない・・・・・・・・・」

 

 ――――ああ・・・・・・・・・なるほど。と、全員の表情に書かれていた。それじゃ、しょうがないと、全員が頷いてレノは咳払いしつつ、説明に戻る。

 

「最初の一枚はガウィナ・ヴァール。暴力世界序列一位の組織〈クラブ〉の長。〈吸血騎士〉と呼ばれる男です。一五〇〇年もの間生き続けた真祖の中の真祖で、〈クラブ〉の会員一万を束ねる長です。真神京香とどのような交友関係があるかは不明ですが、彼女が「女王」と呼ばれている理由は、この男が言い始めてからと言われています。

二枚目はフェイト・ジルバー。暴力世界序列二位の獣人組織〈トライブ〉の出身で渾名は〈怒る飢え(アングリー・ハングリー)〉。ですが、資料の通りに五年前に〈トライブ〉の過激派、約五分の四の組織を壊滅させた裏切り者と、呼ばれています。しかし、現在はガウィナと保守派〈トライブ〉との親善大使をしている重要人物でもあります」

 

〈トライブ〉とは〈(トライブ)〉という意味だけである。〈保守派〉、〈過激派〉と大きく二つに分けられ、その〈トライブ〉の中で、真神京香は〈保守派〉の〈都市族(アーバン・トライブ)〉と友好関係がある。さらに、二年前前〈過激派〉の武装集団二七名を、通り掛かった真神京香に全員が殺られたという話は、裏ではポピュラーだ。

 現在も〈過激派〉は、鬼門街進行を企んでいることも有名である。

 一同はもう一度資料に眼を移す。

 獣人という種族は、人間の限界値を生まれながらにして超えている。生粋の前衛戦士で、その耐久力や生命力は、〈魔王級〉の悪魔憑きとひけを取らないほど。

 その二七名を殺害するだけの戦闘能力を持つ魔術師に、部隊長全員の顔には平静だった。

 死地を前にした時、戦士の真価が問われる。それに相応しい笑みを浮かべていた。

 

「まぁ、そんだけ実力と同じく謎も多い魔術師だ。警戒するランクはAでも足りない位だろうな」

 

 不敵に笑い、指揮官の風格を取り戻したマジョ子は、背後にあるモニターへと視線を移す。マジョ子の碧眼は一つのモニターに止まる。

 真神家の庭を三〇〇メートル離れ、上から見下ろす形である。カメラの倍率を狂いもせずに合わせている。だが、居間の窓はカーテンで閉められ、人影が立っている――――何分間も、身動きせずに・・・・・・・・・?

 

「Cチーム」

 

 供えられたマイクを掴み、連絡を入れる。隊長達も怪訝と視線を向ける。

 

『こちら、Cチーム』

 

太陽(ソル)はいるんだろうな」

 

『はい、いますよ? カーテンを閉めているんで、魔術探知機を作動していますが、何の異常も――――』

 

「違う、魔術機器に頼るな。サーモグラフィーに切り替えろ!」

 

『リョ、了解!』

 

 通信を受けた兵士はカメラを赤外線に変更。画面は青や黄色の影に覆われ――――太陽のものと思われた人影は、青色に変色した。

 

SHIT! 何でだぁ? どうやって消えた! どこに行きやがったんだ!』

 

「落ち着け、そして冷静になれ。こちらの裏を掛かれた。魔術を〈使わず〉に、カモフラージュしただけだ」

 

『はぁ〜? どうして、魔術師がそんな手間を? 魔術師なら光学迷彩の結界を張れば・・・・・・・・・』

 

 自分で言いながら、異常なことに気付き始める。

 魔術師だからと、先入観だけで魔術を行使すると、思い違いをしていた事を。

 

『Cチームはこれより、太陽の探索。被免(アデプタス・)達人(エクスエンプタス)クラスの魔力数値を片っ端から洗え。現場監督として、お前がやれ。失敗は成功で取り返せ』

 

『イエッサー、ヤー!』

 

 通信はぶつりと切れると、マジョ子は頭を抱えそうになったが自制する。時間は無駄に出来ない。

 思考しろ。

 これは〈女王〉と、ガートス私兵部隊との追跡ゲームだ。

 こちらは数の優位がある。だが、あちらは予想外のフットワーク。

 結局は読み合いだ。それに、こちらはまだ優位だ。霊児がラージェとカインを隣県まで連れ出してくれれば、こちらの敗北はない。

 

 

 

四月一八日。午後二時二二分。不城町児童公園。

 

休日を利用して、子供達が滑り台やジャングルジムではしゃいでいた。その中で、弥生も他の子と一緒になって、ジャングルジムの頂上で笑顔を作っていた。

それを気だるげに、ジャングルジムの近くにあるベンチから見守る駿一郎は、欠伸をした時である。

直角コーナをドリフトで掛け抜ける、紅きフィアットが小さな車体を左右に振り動かし、排気音とロックンロールの爆音を撒き散らしながら去っていく。

公園にいた保護者から、子供達までポカーンとそのフィアットを眺める中、弥生だけは肩を竦めて溜息を付いた。

 

「お母さんもそうだけど、京香さんも何時までたっても子供よね、お父さん?」

 

 弥生は近所付き合いがあるため、このような暴れっぷりは知り尽くしている。

駿一郎には長年の旧友である京香の行動など、驚くに値しない。値にはしないが、何処かの外国で爆発事件や大事故があった場合は、連絡を入れる。

お前じゃないだろうな? と。

 

「嬉しいことでもあったんだろう」

 

 京香は嬉しいことや楽しいことがあれば、際限なくはしゃぎ回る。しかも、その嬉しいと感じる度合いはピンからキリまで、際限なくはしゃぎ回る。と、胸中で呟きながら、自然に視線を滑り台の影にある水溜りに目が行った。

 煙草に火をつけながら、おかしい――――と直感が囁き、理性がその直感を言葉に変換する。

――――ここ二日間雨は降っていないからだ。では、なぜ水溜りがある?

 ベンチから立ち上がり、その滑り台まで近付く。その間、駿一郎の膝上程度の小さな男の子がすれ違う。

男の子も滑り台の水溜りを見つけたのか、勢い良く走り出す。そして、徐にジャンプして水溜りの水飛沫を上げようとしているのだろう。

駿一郎が静止する間もなく、男の子の靴はもう水溜りの飛沫を撒き散らした後である。だが、そこから男の子のワンパクな笑顔が、見る見る恐怖に青ざめていく。

水溜りは待っていたかのように、異界の赤銅色へと変化していた。

靴を飲み込み、膝を飲み込む水溜りを見たため、異常すぎる現象に喉からは悲鳴すらあげられない。

腰の高さまで水溜りに飲み込まれた時、ようやっと駿一郎の片手は、天に投げ出した少年の手を握り締める。

掴んだ少年に、クールに笑う。異常な状況に似合わない、ふてぶてしい冷静な表情に、飲み込まれている男の子が呆気になるほど。だが、すぐに表情は泣きそうに崩れていく。

 男の子の泣こうとする顔に、鼻で溜息を付く。

近頃のガキは、すぐに泣いたり喚いたりとうるさい。

駿一郎は徐に、口に咥えていた煙草を指で弾き飛ばす。クルクルと回転する煙草が、水溜りに落ちた。

瞬間、ガソリンに引火した炎のように猛狂った。その炎は少年にはまったく燃え移らず、水溜りのみを燃やす浄化の炎だった。

 駿一郎はぶら下がる少年を横に置くと、水溜りを見下ろす。

 すでに水溜りは、赤銅色ではなくなり吸殻と果てた煙草が浮くだけとなった。

 その水溜りと駿一郎を交互に見上げた少年の顔は、呆けた顔のまま口を開く。

 

「あの水溜りは、何なの?」

 

未だ恐怖の残滓がある声音で問う幼い少年に、駿一郎は唇の片方を吊り上げる何時ものクールな笑みで言った。

 

【悪い夢だ。忘れちまいな】

 

その言葉に含まれた強力な催眠術と記憶改竄に、小さな男の子は抗えるわけも無く、虚ろな瞳で頷くと友達の集まる場所へ、はしゃぎながら走り去っていった。

 小さな男の子の背中を見送り、水溜りに視線を戻す。

 ただの水溜りに見えるが、魔術師が持つ視線には別のものに見える。

 赤銅色で描かれた、門のような象徴。

 

紋章(シール)にしては〈ソロモン〉でも無いようだな」

 

 駿一郎は描かれた紋章を観察しながら、煙草を取り出してマッチで火を付ける。

〈ソロモン王の七二柱〉なら、願いを届ける天使でもあるサンダルフォンの力を用い、天界の帰還を願う天使と迫害された神々の願いを届けて、浄化することも可能だ。

だが、この紋章はあらゆる魔術学から一線を慨した特徴が見える。

 

「これは退魔家の一派か?」

 

 退魔家の総本山、真神家との交流を持つ駿一郎などの魔術師だけが、理解できる形状でもある。

 異質で同質。同質にして異端である七大退魔家のトップを知らなければ、どんな達人(アデプト)すらも見落としてしまうであろう紋章。

それを観察し、自分の顔が写し出された水溜りから、ふと己の肩越しに見慣れた顔が表れる。

振り返ってみても、そこには誰も立ってない。だが、水溜りには確かに映っていた。

アヤメの朗らかな笑みが。

 

『あっ、駿一郎? ワタシだけど』

 

 水溜りのアヤメが、夫の自分に気付いて手を振っている。ようやっと電話に繋がった相手に、弾むような声音だった。

 

「今どこにいる? 水溜りにしかお前が映っていないぜ?」

 

『それがコッチも何だよ。駿一郎は水溜りにしか映っていないのよ。それにあまり時間が無いみたいね?』

 

 後半部分になると、水溜りの波紋が揺らめき、アヤメの顔だけがおぼろげに霞んでいく。

 

『要点だけ話すと、結界に括られたみたいなのよ。それで、この結界を張っていると思う人が、磯部綾子っていう女の子なの。そっちで調べてくれる?』

 

「解った。だが、連絡手段はどうする?」

 

『お店の――――』

 

 とうとう、アヤメの声にもノイズが走りだす。だが、そのノイズとは別の声が混じる。怨嗟や嫉妬の呻き声が無数に【店、みせ、みせ、ミセ】と繰り返す。

 

『あちゃーバレたかな?』

 

「バレたみたいだな。俺は店に行く」

 

『頼むね?』

 

 どこまでも信頼と優しさを感じさせる、天然の微笑と共に、アヤメを映し出していた水溜りはもう消え去り、あるのは赤銅色の紋章だけになる。

それを見ながら、駿一郎は煙草の灰をポケット灰皿でもみ消して、踵を返す。ジャングルジムではしゃいでいる弥生を見上げる。

 

「弥生、急用が出来た。帰るぞ」

 

「えぇ〜」と、憮然と頬を膨らませる娘に、駿一郎は見上げながら言う。

 

「お前はその年で叔母さんになりたいのか?」

 

 駿一郎の発言に、井戸端会議の真っ最中だった奥様方の視線が集まるが、気にもせずに続ける。

 

「戻るぞ?」

 

 渋々で頷き、ジャングルジムの頂上から駿一郎目掛けて飛び降りる。弥生の小さな身体を片手で受け止め、そのまま奥様方の視線を背中に受けて公園から出て行こうとしたが、煙草のポイ捨てを思い出し、水溜りに浮かぶ吸殻をポケット灰皿に入れてから、公園を出て行った。

 二児の父親として、最低限に子供の前では恥ずかしくない行動。その程度には、駿一郎にもある。

 

 

 

同時刻。喫茶店キサラギ内にて。

 

 店内の清掃。カップ洗い。コーヒーメーカーの洗浄。アルコールランプの補充。

 全てを遣り終えてしまった鷲太と忍の間にあるカウンター席に、沈黙が降り積もっていた。

 よくよく、考えれば二人とも共通的な話題が無いのだ。だが、助けてもらったこともあり、忍は普段以上に気を使って話題を考えた。が、結局妙案も浮かばずに、安着な話題を振ることになった。

 埃一つ無いカウンターを拭きながら口を開く。

 

「如月くんって、小さい時に金髪とかされたから、そんな髪なの?」

 

「・・・・・・・・・モヒカンにされた・・・・・・・・・」

 

 ――――遣りかねない人だモンねぇ・・・・・・・・・

 

「でも、すごいよね? 如月くんのお父さん。全部、英語で書かれている雑誌を読んでいるなんて――――」

 

「・・・・・・・・・そうさ、あのオヤジはあんなカッコをしていても博識だよ・・・・・・・・・」

 

 ますます、落ち込んでいく。父親を嫌ってはいるが、何処となく屈折したコンプレックスの翳りがあった。

 その翳りは前までの自分に重なり、どうにか元気付けねばと、言葉を頭の中で探し回った。

 

「そうじゃなくて・・・・・・・・・」

 

その暫時に、ガラスが連続して割れる音が突然、鳴り響いた。

 否、何もない空間をガラスのように叩き割って、異形の者が構成してきたと、忍の目には移るが鷲太の眼には異様過ぎた。

 何もない、ありふれた自分の家が一気に様変わりする。

 毒々しいカビと、鼻をバットで殴られたような異臭に驚愕も追いつかないまま、左右に目を走らせる。

 左隅に、下半身と下半身が繋がり、その腹部に人の仮面がある。それも、嘲笑うような形状の仮面を挟むように、膨らみ切れていない胸が四つある。

 中央は、両目両腕を精神患者に使う拘束具で自由を奪われ、太腿にも同じく巻かれているが、頬まで裂けた口に並ぶ、ノコギリ状の牙は涎の糸を光らせて繋がっている、妖女(ようじょ)

右端もまた異様だった。眼や口、耳の部分、胸囲から腹部から下腹部の至るところに刃物を生やしている女・・・・・・・・・

異様な三体が鷲太たちに一歩、一歩と近付いてくる。

 鷲太はその不気味な一団を見比べながら、恐慌しつつも叫んだ。

 

「何だぁ! お前等! ここは何時から、コスプレパーティーの会場になった!」

 

 威勢のいいタンカに、忍は感心してしまう。

 この化け物を見て、膝をガタガタと震わせながらも眼を反らす事もせずにいる鷲太に、鼓舞された忍も化け物達へ視線を向けようとした。

 その刹那だった。

 

 風切り音が響き、何かが忍の腹に疾駆した。

 

 肺の空気が一つ残らず吐き出される。視界の隅に映ったのは下半身化け物の足と、鷲太の驚愕の表情。

 転瞬して、コーヒーカップが鎮座している棚に忍の身体は叩きつけられ、ガラスの破片が舞い散った。

 ――――思考がフリーズした鷲太は、ズルズルと滑り落ちる忍を見ていた。鮮血がドクドクと、床を濡らしていく・・・・・・・・・あっ、と鷲太は停止した思考の片隅でせっかく掃除したのにな〜と、残念そうに溜息を付いていた。だが、残り全ての思考が怒りで弾けていた。

 除菌液に浸していた包丁を取り出し、カウンター席を蹴って下半身のどてっ腹に突き刺していた。

 思考も肉体も裏切る、殺意の脊髄反射。

 

【ギャァァァァァア!】

 

化け物の絶叫、肉の裂き、骨に当たって止まる感触を掌に伝わった後になって、鷲太は己の手を見て驚愕した。

 殺傷しようとしたことと、その下半身の腹から流れる血の色に、女のような悲鳴をあげながら後退りした。

 床に倒れ、ガタガタと震える下半身の化け物と立っている、二体を息も切れ切れに見渡す。

 

「何だ! お前等! 本当に! 何で!」

 

 両手にべっとりと青い鮮血。床に這う毒々しいカビよりも激しい異臭に、涙を流して胃液を嘔吐した。

 ――――ありえる訳が無い。人の血は紅い。血もこんなに腐った肉汁のような匂いもしない。こいつは化け物だ。こいつ等は見た目と中身も同じ化け物だ――――

 恐慌した思考に陥った鷲太に刃物の女が、両肩を掴みあげた。

 鷲太を抱擁し、その刃物で覆い被さろうとした瞬間にカウンターから、二本の包丁を持って飛び出す忍。

 忍の目は、呆けたような眼差しだった。

 肩に刺さったガラスの破片をそのままにし、振り落とした一刀で頚動脈を突き刺し、手首を返して頚骨切断!

さらに鷲太の肩を掴む両手首を撫で切り、相手が激痛の呻き声と青い鮮血を撒き散らしているほんの一瞬で鷲太を剥ぎ取ると、流水のような自然さで拘束具の妖女へと肉迫する。

 逆手に持ち変えた右の包丁の一閃。それを妖女の牙を防御。強靭な顎で刃物は脆くも噛み砕かれる。残った左の包丁で脇腹へと滑り込ませようとしたが、拘束具は刃物の進入を許さず弾かれた。

 手詰まりの万事休す。それ嘲笑うかのように妖女は、噛み殺そうと大きく口を開く。

 

「喰らえ! ゲテモノ!」

 

 忍の背後。鷲太は烈声と共に、ギターのネックを掴んで突貫した。レスポールのボディーを大きく開いた口に叩き込み、蹈鞴を踏んで後退する妖女。体制を整えるよりなお疾い忍が放った左の横薙ぎによって咽喉部からぱっくりと開く。

 血飛沫を断末魔の代わりとして、背中から倒れていく化け物を冷たい双眸で見下ろしていた忍に、鷲太は背筋に悪寒を感じた。

 

「おい? 春日井・・・・・・・・・?」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「春日井!」

 

「・・・・・・・・・あっ?」

 

 ようやっと焦点が鷲太へと合わさった。

 

「大丈夫か? 肩にガラスの破片が刺さってるぞ?」

 

「えっ――――うん。痛い」

 

 どこかワンテンポ遅れるやり取り。だが、鷲太はすぐにカウンター席にレスポールを置いて救急箱を取り出す。

 

「こっちにこい。手当てするから」

 

 本当はもっと、違うことを言いたかった。だが、色々ありすぎて使っていない頭はもうパンク寸前である。なら、やらなければならないことと、優先すべきことをするだけである。

 忍は手に持った包丁を迷いながらも捨てて、カウンター席へと移動しようとした。

 それが過ちだった。

今度はさらに連続したガラスの破砕音が鳴り響く。

 

「またかよ!」

 

 鷲太は恐怖と怒りの半々な叫び声をあげた。

 店内にどんどん出現していくる先ほどの化け物たち――――今度は倍の数でカウンターを包囲し始める。

 鷲太ももう、腹を括った。こいつ等は化け物だ。OK、OK。だったら、徹底抗戦だ。

 レスポールを握り絞め、カウンター席に上がって化け物どもを見下ろしながら、獰悪なまでに笑みを作った。

 

「どいつも、こいつもきたねぇ面で店を汚しやがる! まとめてブッちめてやるぜ!」

 

 虚勢である。だが、忍だけは何とかしなければならない。そんな身の内にある感情が猛然と鷲太を突き動かしていた。

 そんな鷲太の叫びと被さるように、店内のドアが蹴り破られる。

 轟音と共に飛来したドアは化け物の三体にぶち当たり、そのまま壁に押し潰されてしまう。

 店内にいる異形も人も、入り口へと視線を向けると戸口から舞う埃の中、小さな影が拍手をしながら現れた。

 

「腐っても如月だよ、兄ちゃん。カッコ良い」と、キャンディーを咥えながら拍手する弥生が、蹴り破った張本人を見上げてニッコリと微笑んだ。

 

「お父さん。とうとう、兄ちゃんも如月家族(ファミリー)の自覚が表れたよ・・・・・・・・・って? お父さん?」

 

 弥生は怪訝と父親を見上げる。

 駿一郎の肩は微妙に肩が震えていた。サングラスの視線は真っ直ぐに鷲太の握るレスポール。そのボディーに付いた歯型しか目に入っていなかった。

 

「鷲太ぁっ!」

 

 一喝というには、あまりにも凄まじい怒声だった。

 化け物の群れが一斉に、動きを止めてしまうほど。

忍、鷲太、弥生も身体を硬直してしまうほどの一喝だった。

 

「鷲太〜オマエ〜?」

 

 呂律も回らず、異形すら見ずに大股で鷲太へと向かう。

 異形の群れも、いきなり近付いてくる駿一郎に攻撃を三方向から仕掛けるが、両手の裏拳、膝蹴りの一発で両端に飛んで壁に叩きつけられ、天井に突き刺さる。

 

「ハァァア?」

 

 忍は化け物を一蹴してしまう駿一郎に、呆けたような声音が漏れた。

異常過ぎる膂力を見せられ、化け物も駿一郎の進行方向から離れていき、真っ二つに割る。そして、徐にカウンター席に上がっていきなり、鷲太の胸座を掴みあげる。

 

「お・・・・・・・・・やじ? オレ、体重軽い方だけど・・・・・・・・・片手で持ち上げるのは、どうかと・・・・・・・・・」

 

「鷲太? そのレスポールは俺が一番、気に入っているギターって知っていて傷をつけやがったのか? あぁ?」

 

 駿一郎は鬼火のような眼光で、吊り上げた息子を見上げるが、その眼を見ながらも鷲太は断固抗議する姿勢を貫いた。

 

「アンタは、息子とギターのどっちが大切なんだよ!」

 

 言われて、駿一郎はギターと息子を交互に見比べる。そして、背後でこちらの様子を窺う化け物たちを見て、一つ頷いた。

 

「息子に決まってるだろ?」

 

 下ろしてから、鷲太の衣服についた皺を整えながら言う。

 

「チラチラ、ギター見て言いながらだと説得力なさ過ぎだ」

 

鷲太は猜疑的な目で父親を見上げる。

 

「それにしても・・・・・・・・・」

 

「おい、無視するな!」

 

 鷲太の抗議をシカトし、カウンター席から下りると駿一郎は不敵に笑った。

 

「何だ、こいつ等は? オマエの友達か?」

 

「ぅんな訳があるかぁ!」

 

 それを聞いた駿一郎はニヤリと、肉食獣のような笑みを息子に向ける。獰悪でクールな笑みだった。

 

「O.K。じゃ、この店からご退場願おう。ついでにちょいと早いが、閉店だ。店の清掃は手伝えよ」

 

 化け物の群れを前にして、堂々と嘯いてジュークボックスの近くにいる弥生へと視線を向けると、弥生は頷いてジュークボックスを蹴り上げた。

 たたき起こされた電源が一斉に電気を灯しだし、弥生はボタンの前で振り返った。

 

「どんな曲?」

 

「インペリのスピード・デーモン」

 

 頷いた弥生はボタンを押すと、ジュークボックスからイントロが叩き出され、店内がテンポの速く、疾駆するかの如くギターが書き鳴らされる。

 鷲太と忍は、何故こんな化け物を目の前にして音楽を流す必要があるのか? それに弥生はまだ入り口近くだ。

 早く、助けなければならない。

 鷲太にはもう父親のスタイルなんて、どうでも良かった。

 

「オイ! オヤジ! 首振ってリズム取ってる場合じゃねぇだろうが!」

 

「如月くん・・・・・・・・・弥生ちゃんも首振ってる・・・・・・・・・」

 

 駿一郎と弥生は頭を振りながら、歩き始める。

 弥生は何時ものようにカウンターへ。駿一郎は逆に化け物たちへと向かう。

 理由の解らない行動を起こす駿一郎と弥生を見渡す化け物達であったが、いまさら気付いたように刃物だらけの女が弥生の背後を襲い掛かろうと飛び上がった。

刹那。途中、駿一郎は落ちていた包丁に目を写して驚異的なスピードで蹴り上げ、飛び上がっていた刃物の女の首に命中。

どれほどの威力が秘められていたのか、ナイフの慣性に従って刃物の女は容赦も慈悲も無く壁に亀裂を作って、包丁で貼り付けられた。

しかも壁に飾ってあるフライングVの真上である。

その間に悠々とカウンター席に何時ものように足を乗せ、化け物を背にしているにも係わらずリラックス。

 

「えっ・・・・・・・・・・・・と。本当、すごいね? 如月くんの家族って・・・・・・・・・こんな時も動じないなんて・・・・・・・・・」

 

「いや・・・・・・・・・無理に気を使わなくてもいいぞ、春日井? 解っているから。ウチの家族は異常だって・・・・・・・・・」

 

 そんな二人の溜息混じりな会話を他所に、駿一郎は化け物たちへとリズムにあわせて歩を進めていく。

 そしてヴォーカルが唄い始めたと同時。駿一郎は動いた。

 左側にいた上下下半身に閃光のワンツー。

仮面は叩き壊れ、破片が床に落ちる前に右側にいた刃物の女には振り向きもせずに回し蹴りの一閃で眼に生えた刃物を叩き折り、そのままもう一回転した回し蹴りで顔面を強かに叩き込み、宙でキリモミ回転させた。

正面に襲い掛かる牙の女が遅れながらも襲い掛かるが、宙で回転していた刃物を掴むとそのまま口に放り込んで、顎を開いたままを維持させる。刃物の切っ先はもちろん上に向け、左足で蹴り上げることによって、顔面は串刺し。

青い鮮血が舞い上がる中をさらにミドルキックでぶっ飛ばす。

激しい曲に合わせ、踊るように化け物たちを倒していく――――否、踊るついでのように倒していく。

ギターソロに差し掛かると、天井に突き刺さっていた化け物が落ちてきた。それを左足で薙ぎ払って、左側から襲い掛かろうとした化け物に激突させ、振り向き様に刃物だらけ女の襟首を掴み、社交ダンスで踊るようにその女を振り回し、回りの化け物たちを次々と切り刻み、ライトダンスへ以降。

床に叩き潰し、首をへし折る。さらに回転して化け物たちは薙ぎ払う。化け物の殆どを床や天井、壁へとキスさせた駿一郎は凄惨なダンスの相手を務めきった刃物の女を離した。

間接という間接が逆方向に曲がり、そのまま顔面から床に落ちた。

見渡すと、どれもこれも無茶苦茶になった店内を見て、一つ溜息を付いた。

 同時に曲も終わりに差し掛かっている。ヴァーカルと合わせるように、駿一郎は唇をゆっくりと開く。

 親指で首から横へひき――――

 

 

「【Athah(アテー、) gabor(ギボール、) leolam(ルオラーム、)・・・・・・・・・】」

 

 

 不思議な音階。美声から迸る波紋に、忍の身体は硬直した。

――――歌だ・・・・・・・・・それも天国を貫く歌。

駿一郎は鼻で笑って親指を下へと向け、十字を切る。

 

 

「【adnai(アドナイ)!】」

 

 

 カバラ起源の魔を払う聖なる呪文を唱えた。

 眩しい光が、一瞬にして炸裂した!

 床から壁、天井にまで満遍なく侵略する白い閃光に鷲太は目を瞑る。しかし、忍は眼を閉じる一瞬、駿一郎の頭上――――黒翼を広げる天使が天高くに飛翔している所を――――両手には、駿一郎が倒した化け物たちを一塊にし、花嫁がブーケを持つように店をすり抜けて飛翔する瞬間を。

 閃光に瞼を閉じていた中、一人だけ背を向けていた弥生は溜息を吐いて、父親へ振り向いた。

 

「終わった?」

 

「ああ。だが、これから店の清掃だな」

 

 二人の会話を耳だけで聞きながら、忍は愕然として悟ってしまう。

 まだ、床や壁にあるカビの異臭に――――まだ、この異界から抜け出せていないことに。

 

「そんな・・・・・・・・・まだ、出られないんですか?」

 

 忍は痛い目を無理矢理開けて、駿一郎を見詰める。頷いて駿一郎はあたりにはびこるカビを見渡しつつ言葉を紡ぐ。

 

「〈AGLA(アグラ)〉を唱えただけだからな・・・・・・・・・それにもう、ここは異界の中だ。入るのは容易いけど、出るにはリスクがある。それに・・・・・・・・・」

 

 呆然自失している息子に眼を向けつつも、小さく溜息を吐いた。

 

「足でまといがいるから、ここから動くのは危険だ」

 

「すげぇームカツクな・・・・・・・・・オレだって腕っ節には自信はあるぞ?」

 

「猪みたいに鼻息を荒くするな。オマエは弥生と違って魔術とか覚えていないだろうが?」

 

「科学全般の現代で、オカルトを勉強したがる奴がいるかぁ! 父親ならもっと別のことを教えやがれ!」

 

「教えるねぇ――――なら、まずはこの場を動かないことだな」

 

 肩を竦めて言う駿一郎。呆気と打開策も浮かばないままの鷲太は、歯噛みしながら頭を掻き毟る。

 弥生は至って冷静だった。こんな時でも堂々とコーヒーメーカーを動かして、四人分のコーヒーを入れ始めていた。

 

「まぁー少しは落ち着こうよ、負け犬」

 

 哀れな子羊を見るように、弥生は鷲太に微笑んだ。

何処までも人を馬鹿にする自分の妹を、ドサクサ紛れに亡き者にしようかと、本気で鷲太は熟考し始めたのは言うまでもない。

 

 

 

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